長期連載の漫画が最近多いけど・・・・
今回、突然思いついたことを記事にしようと思う。
コンバータやゲームにも一切関係ないうえに、解釈のされ方次第ではとんでもない問題になりかねない内容でもある。
大手のブログで書いたら、速攻で削除を強いられるかもしれない。
・・・でも書きたい!
異論がある方がいれば、連絡を下されば記事を削除を検討しますのでご容赦ください。
今回の記事の動機となったのは、とある漫画についてだ。
その作品は、
コータローまかりとおる!
この記事を読んでいる方で若い方は知らないかもしれない。
20~30年前には週間少年マガジンで顔になっていた人気作品である。
作者の蛭田達也氏の天才的な技量で書かれたコータローの超元気なキャラクターに憧れた方はかなりいたと思われる。
同作品だが、
コータローまかりとおる!(全59巻)
新・コータローまかりとおる!柔道編(全27巻)
コータローまかりとおる!L(8巻まで刊行)
最終章ということになっているコータローまかりとおる!Lの最新刊の8巻までで計94巻出ている。
このまま行けば、100巻超えは確実なのだが・・・
残念ながら2004年に作者が体調を崩され、休刊になっていた。
過去に再開の噂が幾度とたったようだが実現せず今に至ります。
・・・で、最近になってとあるサイトの情報を見て衝撃を受けた。
蛭田達也氏は亡くなられたそうです。
正直な話、コータローというキャラクターは昔はそれ程好きではなかった。
必要以上に明るく元気なキャラクターは、オタクである自分のニーズと違う・・・というか、相容れないところがあった。
・・・でも最近読み返す機会がって、現状を調べてみたら・・・まさか・・・こんなことになるとは・・・・・・
確かにそれ程好きではなかった。
ただ・・・元気度だけで言うならドラゴンボールの孫悟空、ワンピースのルフィにも劣らないコータローが作者死亡という形で終わるのか?
・・・・そう思うと、彼の日頃の元気振りを考えると今までぼんやりと思っていたことを書かずにはいられなくなった。
ようやく本題に入ろう。
原作者死亡の状態でも連載の再開や継続は可能か?
最近はある程度の人気が出る作品の長期連載は珍しくなくなった。
100巻超えと昔では超人的偉業も最近ではよくある話になった気もする。
ただ・・こうなると、一度は真剣に考えなければならない。
作者に何かあった場合は、その作品をどうするのかと・・・
漫画というのは確かに作者自身のものだ。
・・・だが個人的には「権利上は」と付け加えたくなる。
長い間、愛されたキャラクター達は作者を超えた存在になる。
原作者側の関係だけでどうするのも自由、という考えは間違ってはいないが同意しかねる。
漫画の原作者ではないが、ルパンⅢ世役の山田康男氏が亡くなられた際、本人はルパンと共にこの世を去り、二度と映像化しないことを望んでいたようだ。
・・・だが、この望みは適わず、栗田貫一氏がルパン役を引き継いでいる。
「栗田氏のルパンはルパンじゃない」
・・・という辛辣な意見もあるが、こちらは続いて良かったと思っている。
作り手側の希望だけでルパンが消えることは良くない。
山田氏には悪いが、ルパンはみんなのルパンなのだ。
栗田氏のルパンは違う・・・そういう方の気持ちは解らなくはないが、そんな方には彼がルパン役を引き受ける時は、収録の前日は仕事をキャンセルして一日中ルパンの作品を見て役作りに入る話を聞かせたいものだ。
少々ずれてしまったが、作者死亡後でも連載は可能かどうか?
・・・と言われれば、「一応不可能ではない」が的確な答えな気がする。
漫画は作者個人で書くもの・・・手塚治虫氏の時代はそうだったのかもしれないが、最近は違う。
特にマガジンの講談社は、製作作業の分業化を早くから行っていたと聞いたことがある。
中には、原作者がアニメでいう絵コンテレベルの作業程度で、あとはアシスタントが・・・こういう作品も珍しくないらしい。
コータローまかりとおる!の場合は詳細は解らないが、少なくとも蛭田氏だけでなくストーリー関連は別の人物が担当していたらしい。
・・・つまり、その方のストーリーのプロットが残っていれば、優秀なアシスタント探しに糸目を付けなければ、コータローまかりとおる!Lの復活劇は少なくとも技術的には可能だと思う。
勿論、連載時には天才と称された蛭田氏が自ら手掛けた作品と全く遜色ない出来になるという保証は無い。・・・・ただそれでも、コータローがこのままこの世から消えてしまう・・・それよりは、ずっと良いと思う。
・・・でも実現の可能性は?と聞かれれば可能性は限りなく低い。
途中で連載をマガジンSPECIALに移したわけだが、休載されてから10年近く経っている。
しかも人気作品とはいえ、コータローまかりとおる!はアニメ化をされた経験も無い(実写映画化はある)・・・こういった作品では、無理に復活させてもビジネスとして成立するかどうかは疑問だ。
また、作者死亡後も続いた作品は漫画そのものではなく、アニメとして継続するなど国民的人気を現在でも誇り、継続の形も特殊な場合が多い。
「確実にビジネスとして成立しうる」という打算が無ければ、復活の可能性は日本の出版業界の通例から考えれば相当に難しい。
・・・ただ、長期連載が増えてきた以上万が一の時の方法を考えておくことは、出版社は義務と考える姿勢を持つことは重要だ。
あともう少しで物語が終わる・・・この段階で作者の都合で・・・は無しにしていただきたい。作者側の権利。尊厳の問題は確かにある。
・・・だがどんな形でも続きを見たい。
そんな読者の願望を適えること、それこそが出版業界のあるべき姿なのではないのだろうか?
この答えに有効な返答が得られそうなのは、アメコミ業界である。
例えばスパイダーマンやXメンは1963年から連載が開始され、バットマンに至っては1939年から連載が続いている。
権利関係は出版社が管理していて、ストーリー担当、ペンシラーという原画担当、インカーという仕上げ担当・・・といった感じで完全に分担化されていて、数年程度で交代する場合が多いので、連載は半永久的に続けることが出来る。
ペンシラーの力量で作品の出来が左右されがちだが、読者はいつまでも読むことが出来るのはありがたい。
ただ・・・アメコミの場合は製作者側が例え成功しても、十分な報酬が得られない場合も多く、常に出版社側と騒動になっているという話もある。
日本の出版社がこの形を導入するのはやはり難しいという感じがする。
・・・・でも、今の時代は出版社も何名の大物が支えるという形からは脱却する必要があるかも?・・・と思うことがある。
どうなのだろうか?
この記事と平行して書くのが適切かどうかは解らないが、長期間休載していた作品が復活すると本当に嬉しい。
個人的に真っ先に思いつくのは、ガラスの仮面。
最終章である紅天女編に入ってから数年間休載してかなり心配したが、こちらは復活できて完結まで読めそうだと思うといまだに心が震える。
読み始めたのは割りと最近の話なのだが、初めて見たときに「この人、天才だわ!」・・・と一気に最新刊まで読んでしまったことは記憶に新しい。
作り方が変わった?・・と噂をする方もいるが、今でも十分に魅力的です。
余談だがガラスの仮面は過去に2回、アニメ化されている。
1回目は1984年。
ストーリーは途中で終わるうえに端折られているが、原作の雰囲気はこちらの方が良く出ている。
放送時期がセクシーなキャラで人気があったキャッツアイのファーストとセカンドシーズンの間ということもあってか、OPでは13歳のヒロインの北島マヤをレオタード姿で躍らせるという原作観完全無視の「無茶ぶりセクシー」路線とかは何となく昭和を感じさせる。
今やったらクレームの嵐だろうなぁ・・・・・・
エロサイトどころか、アダルトビデオすらない時代のお色気ってこんな感じだったのだろうか?
2回目は2006年。
キャラクター等を今風にアレンジしているのはいいが、やりずぎて「誰、それ?」状態の人物がいたり、本格的に見えて車が走り去るシーンとかでは車輪が動かずに走っているといった、何気に低予算路線が合わなかったのか、途中で見るのを止めてしまった。
一応完結しているようなので、今から見るならこちらの方が良いのか?
・・・・また話がずれてしまったが、今回はコータローをもう一度見たい!
その一心で記事を書いてしまった。
今回の記事で問題な点は2つ。
一つは・・・実は蛭田氏の死去に関しては裏を取っていない。
あるbbsでの書き込みは見て書いているだけで、講談社の公式見解ではない。
この場合は死亡と断言したように書くのは軽率だと自分でも思う。
ただ・・・それでも原作の休載からあまりにも時間が経ちすぎているので嘘とも思えなかった・・・それでも書くのはどうかと思うのだがどうしても書きたくなった・・・・・・エゴとはいえ、後々問題になるような姿勢かもしれない。
二つ目は・・・今回の記事で誰かが心を痛める可能性があることだ。
講談社側の誰かが?・・・ではない。
彼らはプロだから、こんな弱小ブログの個人記事などまず相手にしない。
傷つく可能性があるのは、現実に長期養寮をしている方々や関係者だ。
こういった方々は実際に死亡を確認していないで記事を書くような人物を良くは思わないだろう。
このような方に心を痛める可能性のある記事を書くことは、人として問題があるのかもしれない。
・・・・ただ、それでも今回は記事を書きたかった。
思えば、コータローのような元気でスケベで気の良い奴・・こんな主人公は少年漫画ではもう必要とされていないのかもしれない。
今の時代なら、エロ関連の情報ならスマホ等で嫌になるほど見れる。
スカートめくりや風呂場を覗く主人公などナンセンスで、下手をすれば「この就職難の時代に内申点下げまくりの行動しか取れないダメ人間」・・・と、今時の10代の少年なら言うかもしれない。
ついでに言えば、エロ本なんて概念も今は無いに等しいし・・・
今、エロ本を求めているのはスマホやインターネットから取り残された50代がメインの客層で、空前の熟女ブームだそうだ。
昔はエロいピンナップで売っていた週刊誌も、公共の施設に置いてもらえなくてデメリットしかないと理由で、エロ関係は掲載を止めているものが多い。
こんな時代でスケベなヒーローが受けるとは思えない。
萌え系の作品を除けば、スケベ主人公の居場所はとうの昔に無くなっている・・・最近の少年誌はあまり見ないが、そんな印象はある。
でもだから見たいんだよねぇ・・・・コータロー。
もう一度、元気でスケベな彼が見れる・・・・いつかそんな日が再び来ることを、心の片隅で願い続けようと思う・・・・・・いけないことだろうか?
コンバータやゲームにも一切関係ないうえに、解釈のされ方次第ではとんでもない問題になりかねない内容でもある。
大手のブログで書いたら、速攻で削除を強いられるかもしれない。
・・・でも書きたい!
異論がある方がいれば、連絡を下されば記事を削除を検討しますのでご容赦ください。
今回の記事の動機となったのは、とある漫画についてだ。
その作品は、
コータローまかりとおる!
この記事を読んでいる方で若い方は知らないかもしれない。
20~30年前には週間少年マガジンで顔になっていた人気作品である。
作者の蛭田達也氏の天才的な技量で書かれたコータローの超元気なキャラクターに憧れた方はかなりいたと思われる。
同作品だが、
コータローまかりとおる!(全59巻)
新・コータローまかりとおる!柔道編(全27巻)
コータローまかりとおる!L(8巻まで刊行)
最終章ということになっているコータローまかりとおる!Lの最新刊の8巻までで計94巻出ている。
このまま行けば、100巻超えは確実なのだが・・・
残念ながら2004年に作者が体調を崩され、休刊になっていた。
過去に再開の噂が幾度とたったようだが実現せず今に至ります。
・・・で、最近になってとあるサイトの情報を見て衝撃を受けた。
蛭田達也氏は亡くなられたそうです。
正直な話、コータローというキャラクターは昔はそれ程好きではなかった。
必要以上に明るく元気なキャラクターは、オタクである自分のニーズと違う・・・というか、相容れないところがあった。
・・・でも最近読み返す機会がって、現状を調べてみたら・・・まさか・・・こんなことになるとは・・・・・・
確かにそれ程好きではなかった。
ただ・・・元気度だけで言うならドラゴンボールの孫悟空、ワンピースのルフィにも劣らないコータローが作者死亡という形で終わるのか?
・・・・そう思うと、彼の日頃の元気振りを考えると今までぼんやりと思っていたことを書かずにはいられなくなった。
ようやく本題に入ろう。
原作者死亡の状態でも連載の再開や継続は可能か?
最近はある程度の人気が出る作品の長期連載は珍しくなくなった。
100巻超えと昔では超人的偉業も最近ではよくある話になった気もする。
ただ・・こうなると、一度は真剣に考えなければならない。
作者に何かあった場合は、その作品をどうするのかと・・・
漫画というのは確かに作者自身のものだ。
・・・だが個人的には「権利上は」と付け加えたくなる。
長い間、愛されたキャラクター達は作者を超えた存在になる。
原作者側の関係だけでどうするのも自由、という考えは間違ってはいないが同意しかねる。
漫画の原作者ではないが、ルパンⅢ世役の山田康男氏が亡くなられた際、本人はルパンと共にこの世を去り、二度と映像化しないことを望んでいたようだ。
・・・だが、この望みは適わず、栗田貫一氏がルパン役を引き継いでいる。
「栗田氏のルパンはルパンじゃない」
・・・という辛辣な意見もあるが、こちらは続いて良かったと思っている。
作り手側の希望だけでルパンが消えることは良くない。
山田氏には悪いが、ルパンはみんなのルパンなのだ。
栗田氏のルパンは違う・・・そういう方の気持ちは解らなくはないが、そんな方には彼がルパン役を引き受ける時は、収録の前日は仕事をキャンセルして一日中ルパンの作品を見て役作りに入る話を聞かせたいものだ。
少々ずれてしまったが、作者死亡後でも連載は可能かどうか?
・・・と言われれば、「一応不可能ではない」が的確な答えな気がする。
漫画は作者個人で書くもの・・・手塚治虫氏の時代はそうだったのかもしれないが、最近は違う。
特にマガジンの講談社は、製作作業の分業化を早くから行っていたと聞いたことがある。
中には、原作者がアニメでいう絵コンテレベルの作業程度で、あとはアシスタントが・・・こういう作品も珍しくないらしい。
コータローまかりとおる!の場合は詳細は解らないが、少なくとも蛭田氏だけでなくストーリー関連は別の人物が担当していたらしい。
・・・つまり、その方のストーリーのプロットが残っていれば、優秀なアシスタント探しに糸目を付けなければ、コータローまかりとおる!Lの復活劇は少なくとも技術的には可能だと思う。
勿論、連載時には天才と称された蛭田氏が自ら手掛けた作品と全く遜色ない出来になるという保証は無い。・・・・ただそれでも、コータローがこのままこの世から消えてしまう・・・それよりは、ずっと良いと思う。
・・・でも実現の可能性は?と聞かれれば可能性は限りなく低い。
途中で連載をマガジンSPECIALに移したわけだが、休載されてから10年近く経っている。
しかも人気作品とはいえ、コータローまかりとおる!はアニメ化をされた経験も無い(実写映画化はある)・・・こういった作品では、無理に復活させてもビジネスとして成立するかどうかは疑問だ。
また、作者死亡後も続いた作品は漫画そのものではなく、アニメとして継続するなど国民的人気を現在でも誇り、継続の形も特殊な場合が多い。
「確実にビジネスとして成立しうる」という打算が無ければ、復活の可能性は日本の出版業界の通例から考えれば相当に難しい。
・・・ただ、長期連載が増えてきた以上万が一の時の方法を考えておくことは、出版社は義務と考える姿勢を持つことは重要だ。
あともう少しで物語が終わる・・・この段階で作者の都合で・・・は無しにしていただきたい。作者側の権利。尊厳の問題は確かにある。
・・・だがどんな形でも続きを見たい。
そんな読者の願望を適えること、それこそが出版業界のあるべき姿なのではないのだろうか?
この答えに有効な返答が得られそうなのは、アメコミ業界である。
例えばスパイダーマンやXメンは1963年から連載が開始され、バットマンに至っては1939年から連載が続いている。
権利関係は出版社が管理していて、ストーリー担当、ペンシラーという原画担当、インカーという仕上げ担当・・・といった感じで完全に分担化されていて、数年程度で交代する場合が多いので、連載は半永久的に続けることが出来る。
ペンシラーの力量で作品の出来が左右されがちだが、読者はいつまでも読むことが出来るのはありがたい。
ただ・・・アメコミの場合は製作者側が例え成功しても、十分な報酬が得られない場合も多く、常に出版社側と騒動になっているという話もある。
日本の出版社がこの形を導入するのはやはり難しいという感じがする。
・・・・でも、今の時代は出版社も何名の大物が支えるという形からは脱却する必要があるかも?・・・と思うことがある。
どうなのだろうか?
この記事と平行して書くのが適切かどうかは解らないが、長期間休載していた作品が復活すると本当に嬉しい。
個人的に真っ先に思いつくのは、ガラスの仮面。
最終章である紅天女編に入ってから数年間休載してかなり心配したが、こちらは復活できて完結まで読めそうだと思うといまだに心が震える。
読み始めたのは割りと最近の話なのだが、初めて見たときに「この人、天才だわ!」・・・と一気に最新刊まで読んでしまったことは記憶に新しい。
作り方が変わった?・・と噂をする方もいるが、今でも十分に魅力的です。
余談だがガラスの仮面は過去に2回、アニメ化されている。
1回目は1984年。
ストーリーは途中で終わるうえに端折られているが、原作の雰囲気はこちらの方が良く出ている。
放送時期がセクシーなキャラで人気があったキャッツアイのファーストとセカンドシーズンの間ということもあってか、OPでは13歳のヒロインの北島マヤをレオタード姿で躍らせるという原作観完全無視の「無茶ぶりセクシー」路線とかは何となく昭和を感じさせる。
今やったらクレームの嵐だろうなぁ・・・・・・
エロサイトどころか、アダルトビデオすらない時代のお色気ってこんな感じだったのだろうか?
2回目は2006年。
キャラクター等を今風にアレンジしているのはいいが、やりずぎて「誰、それ?」状態の人物がいたり、本格的に見えて車が走り去るシーンとかでは車輪が動かずに走っているといった、何気に低予算路線が合わなかったのか、途中で見るのを止めてしまった。
一応完結しているようなので、今から見るならこちらの方が良いのか?
・・・・また話がずれてしまったが、今回はコータローをもう一度見たい!
その一心で記事を書いてしまった。
今回の記事で問題な点は2つ。
一つは・・・実は蛭田氏の死去に関しては裏を取っていない。
あるbbsでの書き込みは見て書いているだけで、講談社の公式見解ではない。
この場合は死亡と断言したように書くのは軽率だと自分でも思う。
ただ・・・それでも原作の休載からあまりにも時間が経ちすぎているので嘘とも思えなかった・・・それでも書くのはどうかと思うのだがどうしても書きたくなった・・・・・・エゴとはいえ、後々問題になるような姿勢かもしれない。
二つ目は・・・今回の記事で誰かが心を痛める可能性があることだ。
講談社側の誰かが?・・・ではない。
彼らはプロだから、こんな弱小ブログの個人記事などまず相手にしない。
傷つく可能性があるのは、現実に長期養寮をしている方々や関係者だ。
こういった方々は実際に死亡を確認していないで記事を書くような人物を良くは思わないだろう。
このような方に心を痛める可能性のある記事を書くことは、人として問題があるのかもしれない。
・・・・ただ、それでも今回は記事を書きたかった。
思えば、コータローのような元気でスケベで気の良い奴・・こんな主人公は少年漫画ではもう必要とされていないのかもしれない。
今の時代なら、エロ関連の情報ならスマホ等で嫌になるほど見れる。
スカートめくりや風呂場を覗く主人公などナンセンスで、下手をすれば「この就職難の時代に内申点下げまくりの行動しか取れないダメ人間」・・・と、今時の10代の少年なら言うかもしれない。
ついでに言えば、エロ本なんて概念も今は無いに等しいし・・・
今、エロ本を求めているのはスマホやインターネットから取り残された50代がメインの客層で、空前の熟女ブームだそうだ。
昔はエロいピンナップで売っていた週刊誌も、公共の施設に置いてもらえなくてデメリットしかないと理由で、エロ関係は掲載を止めているものが多い。
こんな時代でスケベなヒーローが受けるとは思えない。
萌え系の作品を除けば、スケベ主人公の居場所はとうの昔に無くなっている・・・最近の少年誌はあまり見ないが、そんな印象はある。
でもだから見たいんだよねぇ・・・・コータロー。
もう一度、元気でスケベな彼が見れる・・・・いつかそんな日が再び来ることを、心の片隅で願い続けようと思う・・・・・・いけないことだろうか?
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